1983年の
選挙を前にして路線や名簿順位をめぐって対立が生じ(主だった理由は、中山が当選後に盟友の
矢崎泰久との間で交わしていた、『
1983年の参議院選挙で当選させる』という約束を盾に、彼の名簿一位以外は認められないと強行に主張したこと)、
青島幸男、
横山ノック、
八代英太が離脱、さらには双方の和解に腐心していた
秦豊が和解は無理と判断して離脱したことから、事実上空中分解してしまう(もっとも「無党派クラブ」自体は存続)。そのため比例代表選挙の名簿団体として
無党派市民連合を結成。
永六輔、矢崎泰久、
岩城宏之、
長谷川きよしらを立てて戦うも、無党派市民連合は議席を得ることができずに終わった。