1979年12月北京市の副市長、1981年9月北京市第4期委員会常務書記、1982年の十二大で中央委員に当選。83年北京市長、87年北京市党委員副書記、88年国務委員。第7期
全人代常務委員会第8次会議では、1989年6月の天安門事件については戒厳令を支持し、学生たちの鎮圧を実行した。『動乱と反革命暴乱を制したことに関する状況報告』では6月3日に「数千台の装甲車、数万人の軍人、警官を出動させ」、「反革命暴乱を鎮圧した」という詳細な報告を行っている。92年10月の十四大で中央政治局委員、12月北京市党委書記。
1995年4月4日、汚職の審査を受けていた王宝森・常務副市長が自殺し、27日に監督責任で市党委書記を辞任する。その後、陳自身にも汚職の疑惑がかけられ、9月の中共第14期五中全会で中央政治局委員、中央委員の職務を解かれ、全人代の職務を罷免される。