曽祖父・銀一は
越後国三島郡長鳥村
[現在の新潟県柏崎市の一部。]の貧農の家に生まれた
盲人であった。
江戸へ出て高利貸し(盲人に許されていた)で成功し巨万の富を得、
検校の位を買い、米山検校を名乗った。銀一の子・平蔵は、御家人株を入手して男谷家を興した。男谷家はのちに旗本に昇進した。その三男が海舟の父・勝小吉である。小吉は三男であったため、男谷家から勝家に養子に出された。勝家は小普請組という無役で小身の旗本である。勝家は
天正3年(
1575年)以来の御家人であり、系譜上海舟の高祖父にあたる命雅(のぶまさ)が宝暦2年(
1752年)に累進して旗本の列に加わったもので、古参の幕臣であった。