円相場が円高に傾くと、外貨建て債権を有する日本の輸出産業は
為替差損を被ることになり、経営が圧迫される。逆に輸入産業は為替差益を得ることになるが、日本は
貿易収支が大幅黒字国であり輸出産業の方が経済に及ぼす影響力が強いため、
日本経済全体としては、差益より差損の方が大きくなる。そして利益が減少したことで社員給与の減少や価格への転嫁が起こり、結果購買意欲の衰退、不況へと向かう。
1975年から
1984年にかけては、円相場は250円近辺に落ち着くようになったが、じりじりと円安ドル高が進行している状態であった。ドル高による国際競争力の喪失を恐れたアメリカは、
1985年に、
プラザホテルにて
G5を招集し会議を開き、諸国にドル安誘導を要請し各国はそれを承認した(
プラザ合意)。1ドル=240円台で推移していた円相場は1985年末には1ドル=200円まで修正され、その後も一貫して円高ドル安状況が継続していった。特に中小の輸出主導型会社は苦境に陥ったが、
1986年頃から日本政府主導で
公定歩合を2.5%に引き下げる超低金利政策などの不況対策が行われ、状況は好転した。発生した余剰資金は
ストックの増大をもたらし、やがて来る
バブル景気の下地を作ることとなった。
その後の1990年代中期の超円高も、大多数の輸出企業に損害を与える結果となったが、不況時の企業努力によって自国通貨高に対する免疫力は、諸先進国の企業に比べ比較的強くなっているといわれる。