内大臣(ないだいじん、うちのおおまえつぎみ、うちのおとど)とは、律令制度下における
令外官の日本の大臣の一つ。
左大臣および
右大臣の両人が何らかの事情のため出仕できない場合、代理に政務をつかさどる。
唐名は「内府(だいふ)」「内丞相」「内相国」「内僕射」。
正・
従二位に相当。
内大臣は左右両大臣が不在の際に代行して
上卿として政務や儀式を主宰するものであり、あるいは左右両大臣と分担して職務を行う場合があった
[寛治4年(1090年)の例では、正月の節会内弁のうち、元日節会を左大臣、白馬節会を右大臣、踏歌節会を内大臣が分担した例がある(松本、1994年、P186)。]。太政官の実質的な首班であった
一上に任ぜられたのは
承保4年(
1077年)の
藤原信長のみであった
[これは、太政大臣と右大臣が空席で、左大臣(藤原師実)が関白を兼ねていて一上の資格がなかったことによる。]。相当位階は平安時代には三位で任じられた例も見られるが、
中世以後は二位相当に固定された。
[これは右大臣が正二位以上でないと任じられなくなったことに対応していると考えられている(松本、1994年、P184-185)]。内大臣の封禄は左右大臣と大納言の中間的な待遇を受けている。『
拾芥抄』によれば内大臣は
年給が諸国目1人1分2人
封戸800戸
職田なしとされている
[これに対して左右両大臣は年給は内大臣と同じであるが封戸1500戸職田30町であり、大納言は年給が諸国目1人1分1人年給600戸職田20町とされている。]また、平安時代の左右大臣にはよく見られた
牛車宣旨を内大臣(摂政・関白を兼ねる例は除く)が受けた例は見られないなど左右大臣との待遇差が存在していた。