この背景には当時の
中ソ対立も絡んでおり、ベトナムには
ソ連が、
ポル・ポト政権には中国がそれぞれ後ろ盾となっていた。ベトナムとカンボジアが親ソ連となったことに対応し、当時、ソ連への敵意が強かった中国の
?小平と
華国鋒は開戦を決断した。中国にしてみれば、ベトナム戦争で中国の支援を受けたベトナム政府が親ソ連となり、中国から援助された武器も使って、中国の友好国であるカンボジアのポル・ポト政権を崩壊させたことは、恩を忘れた裏切り行為と映った。また、主に旧南ベトナム地域の華僑に対する国外追放、収容所送りなどの弾圧策にも、その華僑が中国の共産主義と相容れる存在ではなかったとしても強い反発があった。一方、当時のベトナム政府にとっては、カンボジアとの未確定の国境問題、ポル・ポト政権が、カンボジアのベトナム系住民への迫害を含む恐怖政治を行い、ベトナムに大量のカンボジア難民が流れ込む可能性(実際には大多数はタイへ逃げ込んだ)は看過できないことであった。