1876年12月2日に創刊した「中外物価新報」を改題して発足した。中外物価新報は、
三井物産の創業者・
益田孝を中心として創刊された。発行所が三井物産中外物価新報局であったことからも分かるように、同紙は三井物産の機関紙としての性格が濃厚であった。1882年に新たな発行所「商況社」を設立し、1889年には題号を「中外商業新報」に改めたことにより、形式的には
三井財閥から独立したが、その後も両者の関係は緊密であった。
1897年9月、匿名組合であった商況社は
合資会社に改組した。しかし深刻な経営難に陥り、1905年に主幹の
野崎広太が、個人の名義で事業を承継。1911年に「中外商業新報社」として
株式会社に改めた。日本の新聞社で株式会社化したのは、同社が初めてである。