1969年3月2日、
極東の
ウスリー川の
中州・
ダマンスキー島(珍宝島)で、ソ連側の警備兵と中国人民解放軍兵士による衝突が起こった。これに関しては双方とも「先に相手が攻撃を仕掛けた」と主張している。戦闘で31人の死者と14人の負傷者を出したソ連軍は、中華人民共和国東北部国境に展開している中国人民解放軍に砲撃を行い、ダマンスキー島に部隊を突入させた。ソ連側はこの攻撃で80人の死傷者を出し、中華人民共和国側に死者800人の損害を与えたとの記録が残っている。またソ連側によると、中国人民解放軍部隊が民間人・農民・家畜に部隊を囲ませながら前進する戦術を取ったという。中華人民共和国側の記録にはソビエト軍に大きな損害を与え、自軍の死者はごく少なかったとある。なおこの時、少なくとも1輌の
T-62が中華人民共和国側に鹵獲されている(中華人民共和国はT-62を1輌公開している)。
7月8日には中ソ両軍が黒竜江(アムール川)の八岔島(ゴルジンスキー島)で武力衝突し8月にはウイグルで衝突が起きるなど、極東及び
中央アジアでの更なる交戦の後、両軍は最悪の事態に備え
核兵器使用の準備を開始した。こうした最中、
1969年9月に
北ヴェトナムの
ホー・チ・ミン国家主席が死去し、ソ連の
アレクセイ・コスイギン首相は
ハノイでの葬儀に列席した後北京に立ち寄り、中華人民共和国の
周恩来首相と会談して政治解決の道を探り、軍事的緊張は緩和された。国境問題は先延ばしされたが、最終的な解決には至らず、両国とも国境の兵力配置を続けた。