実美は明治2年(1869年)に太政官制が導入されて以来、実権はさておき名目上は常に明治新政府の首班として諸事万端を整えることに努めてきたが
伊藤博文の主導する内閣制度の導入によってこれに終止符が打たれたのはこの4年前のことだった。伊藤が内閣総理大臣に就任したことにともない実美は内大臣として宮中にまわり、以後は天皇の側近としてこれを「常侍輔弼」することになったのだがそもそも
内大臣府は実美処遇のために創られた名誉職であり、実際は彼を二階へあげて梯子を外したも同然だった。さすがの明治天皇もこれを気の毒に思ったのである。