1951年に
パリ条約が調印され、これにより欧州石炭鉄鋼共同体が設立された。欧州石炭鉄鋼共同体は超国家主義と国際法の原理に基づいて設立されたものであり、
ヨーロッパの経済に寄与し、
加盟国間での
統合によって将来における戦争の可能性を回避することが狙いとされた。その後
ヨーロッパ合衆国の樹立のために、
欧州防衛共同体と
欧州政治共同体という2つの新たな共同体の設立が提唱された。ところが欧州政治共同体設立条約が欧州石炭鉄鋼共同体の議会組織である
共同総会によって起草されたものの、欧州防衛共同体の設立が
フランス国民議会によって反対された。欧州石炭鉄鋼共同体最高機関の委員長で両共同体構想を牽引していた
ジャン・モネはフランス議会の対応に抗議の意を示して委員長職を辞し、政治分野ではなく経済分野での統合を基礎とした別の共同体の設立に向けて作業に着手した
。
ヨーロッパにエネルギー危機が起こったのち、共同総会は欧州石炭鉄鋼共同体について、ほかのエネルギー源についてもその対象とすることができるように権限の拡張を提案した。ところがジャン・モネは原子力を管理する単独の共同体設立を望み、
ルイ・アルマンはヨーロッパにおける原子力エネルギー利用の見通しについて研究にあたっていた。アルマンの報告では、石炭埋蔵量の枯渇によるエネルギー不足の改称や産油国への依存を低下させるために原子力開発は必要とされるという結論が出された。ところがフランスは
保護主義により反対し、またモネも壮大すぎで困難な目標であると考えていたにもかかわらず、
ベネルクス諸国や
ドイツは全般的な
共同市場の創設に関心を寄せていた。結局のところ、モネはすべての利害を満たそうとし、原子力エネルギーの管理と共同市場の創設について、それぞれ個別の共同体の設置を提案した
[ 要Flash Player]。1955年のメッシーナ会議の結果、
ポール=アンリ・スパークがヨーロッパの競争市場創設についての報告をまとめる準備委員会(
スパーク委員会)の委員長に指名された。
委員会によって作成された
スパーク報告書では、統合のさらなる発展のための基礎がまとめられ、1956年5月29,30日に開かれた
ヴェネツィア会議は報告書を受諾し、政府間協議を組織する決定がなされた。報告書は1956年の
ヴァル・ドゥシェス城における「共同市場と原子力共同体についての政府間協議」の土台となった。