モサッデグは「アングロ・イラニアン石油会社の利益をイギリスとイランが半々ずつ受け取る」という石油協定の改正案には、イギリスのイラン支配継続の意図をみて、断固として反対した。石油国有化はイランの完全な
主権回復を主張する運動の
シンボルとして盛り上がりを増し、
1951年の首相就任後に石油国有化法を可決させてアングロ・イラニアン石油会社から石油利権を取り戻し(イギリスのイラン支配の終結)、石油産業を国有化する。1953年には
ソ連・イラン合同委員会をつくり、ソ連と関係を深めていった。このことは
西側諸国の反感を買う。