その後
ニューヨークの法律事務所で勤務している間に政界入りの誘いを受け、同年
12月、グルジア議会選挙で
シェワルナゼ大統領の与党
グルジア市民連合から出馬し当選。当選後は新選挙制度、独立した
司法制度と警察を設立するための議会委員会の委員長となって、たちまちその名を知られるようになり、
1997年の調査ではシェワルナゼ大統領についで2番目に人気のある人物にあげられた。
サアカシュヴィリは政府の腐敗に反対する人々を糾合するため、翌月新政党「
国民運動」を結成し、その党首となった。彼ら野党勢力は、
2003年11月2日に行われた議会の総選挙でシェワルナゼ政権が大規模な不正を行ったと宣言し、選挙のやり直しと大統領の辞任を求める大規模な集会を
首都の
トビリシで行った。
11月20日に始まり、10万人以上と呼ばれる人々を集めサアカシュヴィリが先頭に立った野党勢力は議会を占拠し、
11月23日にシェワルナゼ大統領と交渉。シェワルナゼの提示した大統領選挙前倒しと議会選やり直しの提案を拒否し、大統領を辞任させた。
しかしその後、野党
デモをきっかけとした
非常事態宣言(
11月7日)や
言論統制など強硬政策を行い、国内外からの批判が強まった。
バラ革命後も政情不安は改善せず、ロシアが平和維持としてアブハジアに軍を駐留するなど、ロシアとの外交関係は険悪化した。こうしたサアカシュヴィリの強行的な
言論弾圧や政敵排除は、後ろ盾である
アメリカ合衆国などを始め、民主化の後退との印象を強めさせた。その後サアカシュヴィリは非常事態宣言を解除(
11月16日)し、国民の不満を受けて次期大統領選の前倒しを宣言して立候補し当選した。