ロシアを
ヨーロッパ列強の一員とし、
スウェーデンから
バルト海海域世界の覇権を奪取してバルト海交易ルートを確保。また
黒海海域をロシアの影響下におくことを目標とした。これらを達成するために治世の大半を
大北方戦争に費やし、戦争遂行を容易にするため行政改革、
海軍を創設を断行。さらに貴族に国家奉仕の義務を負わせ、
正教会を国家の管理下におき、帝国における全勢力を皇帝のもとに一元化した。また歴代ツァーリが進めてきた西欧化改革を強力に推進し、外国人を多く徴用して、国家体制の効率化に努めた。1721年には
大北方戦争の勝利を記念して、元老院に
インペラトールの称号を贈らせ、国家名称をモスクワ大公国からロシア帝国に昇格させた。ロシアを東方の辺境国家から脱皮させたその功績は大きい。
異母兄
フョードル3世の崩御により、その外戚であるミロスラフスキー派の擁する病弱な兄イヴァンを差しおき、1682年4月ツァーリを継いだ。しかし即位後まもなく
銃兵隊の反乱が起き、母方ナルイシキン家の政権が崩壊する。ミロスラフスキー派はこれに乗じて
イヴァン5世をツァーリとし、ピョートルはその共同統治者に格下げされた。イヴァンの同母姉
ソフィヤが、テレム宮から出て幼い2人の弟の摂政として実権を握った。ピョートルは母とともに
モスクワ郊外の離宮に移り、儀式のさいのみ
クレムリンを訪れた。ピョートルが成長すると、ナルイシキン家などの支持派は彼の親政を望み、ソフィヤの摂政政府と対立した。1689年9月、ソフィヤは官僚、軍人、教会の支持を失ってピョートルに政府を明け渡した。