ルーズベルトは1933年3月4日に大統領に就任すると、翌日には日曜日にもかかわらず「対敵通商法」に基づき国内の全銀行を休業させ、ラジオ演説で1週間以内に全ての銀行の経営実態を調査させ預金の安全を保障することを約束し、銀行の取り付け騒ぎは収束の方向に向かった。
これらの政策によって1930年代中ごろには経済に回復の兆しが現れたが、いち早く均衡財政へ回帰しようとする動きから、政策後退が起きたために1930年代後半には危機的な状況へ陥り、政策のいくつかが最高裁で違憲判決が出た
[河村哲二『現代アメリカ経済』有斐閣では、NIRAやAAAが公正競争を阻害するとする判決が出た、と書いている。]。
法政大学経済学部教授の
飯田隆は『図説 西洋経済史』で、「ニューディール政策は計画的なアメリカ経済の立て直しの方策ではなかった」と主張。後年には「場当たり的で一貫性に欠けていて、行うべきではなかった」と経済学者に酷評されていたことを紹介している。一連の政策をもってしても失業者は急激に減少せず失業率は高いままで推移し、雇用も実質GNPも目立った変化は見られなかったとしている。