1950年には、国際線を独占しようとするライバルのパンアメリカン航空と、それを支持する
オーウェン・ブリュスター上院議員が提出した「コミュニティー・エアライン法案(国際線就航を特定の企業に制限する法案)」の論争に勝利し、国際線への本格的参入が可能になると、それに合わせて社名を「
トランス・ワールド航空」に変更した。また、これらの本格的な長距離国際線の開設に先立ち、トランスコンチネンタル・エアー・トランスポート時代から同社のアドバイザーを務めていたチャールズ・リンドバーグが引き続き就任していた。