シハヌーク国王のもとで独立後、
ベトナム戦争が起きると、国内は不安定となり、
アメリカと南北
ベトナムが介入し内戦状態となった。1968年には米軍の空爆が始まり、1970年には
ロン・ノルのクーデターによりシハヌーク国王が追放された。内戦は一層激化し、空爆がカンボジア全域に拡大され数十万人が犠牲となると、
クメール・ルージュ勢力の伸張をまねいた。1975年、極端な
共産主義を掲げるクメール・ルージュの独裁者
ポル・ポト政権が成立。1979年までに、旱魃、飢餓、虐殺などで100万人以上とも言われる死者が出た。(虐殺の数については5万〜330万と諸説あり)。1979年にベトナム軍が侵攻しポル・ポト政権を打倒。その後ポル・ポト派含む三派とベトナム、
ヘン・サムリン派との間で内戦が続いた。1989年にベトナム軍が撤退、1991年10月にパリで和平協定が結ばれた。1992年3月から
国際連合カンボジア暫定統治機構による統治が開始され、1993年には国連監視の下で民主選挙が実施された。この時の国連の代表が日本国籍の
明石康である。9月に制憲議会が新憲法を発布し立憲君主制を採択、ノロドム・シハヌークが国王に再即位した。
カンボジア国内ではかつての内戦の影響でたくさんの
地雷と
不発弾が埋まっており、それらの場所に危険標識があるものの、カンボジアの子供達は母国語である
クメール語の文字が読めないために誤って危険地帯に入ってしまう。そのことから日本のボランティアでは、カンボジアの子供に母国語
クメール語の文字を覚えるようにポスターを作ったりして工夫をしている。