ウイグル人の祖先たちを含め、東西
トルキスタンの
オアシス都市の住民たちは、固有の民族名称をもたず、異教徒に対しては
ムスリム、よそものに対して
イェルリク(土地の者)という意識を持つにとどまっていた。しかし
ロシア革命により成立した
ソビエト政権は、民族政策として「民族別の自治」を掲げ、西トルキスタンでも、遊牧諸集団やオアシス都市の定住民たちに対し「民族的境界区分」が施され、諸民族が「創出」されていった。西トルキスタンには、
1881年のロ清
イリ条約の締結の際にロシア領に移住した
タリム盆地出身者が多数おり、彼らは
1921年、
カザフスタンの
アルマトイにおいて、古代の
ウイグルという呼称を復活させ、自らこれを名乗ることを決定した。この呼称は中国統治下の東トルキスタンにも次第に知られるようになり、従来より当局が用いていた「?回(ぼくかい)」という呼称を「ウイグル」に改めるよう求める運動がおこった。この改名運動は、
盛世才政権のもとで受け入れられ、
1934年、省府議会が正式にこの呼称を採用、「維吾爾」という漢字表記もこの時に正式に確定し、現在に至っている。